執筆者:丸橋 和子
東京民医連・立川相互病院 産婦人科
ティーンズセクシャルヘルスプロジェクト・スタッフドクター

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 これは、医学生向け情報誌「Medi-Wing(メディウイング)」での連載記事です。

*2011年1月号以前はこちらをクリック

 Medi-Wingは全日本民主医療機関連合会(民医連:立川相互病院も加盟しています)が発行しています。

初出:Medi-Wing 2010年10月号(連載第3回)

 今回は、産科ならではの“誕生”に関わる患者さんたちとの出会いや、“母”としての生き方の危機に遭遇した人たちとのかかわりを紹介したいと思います。

 あるご夫婦は、まだ本格的な陣痛になっていないいわゆる“前駆陣痛”の時期から3日間を陣痛室で過ごしました。「お腹を切ってくれ」と懇願されても、「大丈夫、あなたは下から産める!」と連日励まし続け、ようやく出産にこぎつけ、「先生が励ましてくれたお陰!」と大変喜び感謝して下さいましたが、夫殿は、陣痛室から銭湯に通う(しかもパジャマ持参)、という当院始まって以来の伝説を残しました。

 また、3日とは言わないまでも、丸1日以上妻に付き添い、お産を乗り越え、我が子に出会った瞬間号泣した夫殿。あるいは、産まれてすぐに実施しているカンガルーケアー(産まれて間もない赤ちゃんを、すぐにお母さんの胸に抱いてもらい、赤ちゃんを安心させたり、自然におっぱいに吸い付けたりするよう援助するケアー)を「自分もやりたい」と、分娩室で早速上半身裸になり赤ちゃんを抱っこしていた新米パパ。お母さんの腰をさすったり励ましたりしながら自分の兄弟の誕生を応援してくれ、無事、赤ちゃんが誕生したのをみて嬉しくて泣いてしまった小さなお兄ちゃん、お姉ちゃん。医療者にとって「出産」というものは、母子が安全に経過しているか常に気が抜けず、緊張の連続のイベントですから、必ずしものんびり喜びに浸っていられるわけではないのですが、赤ちゃんの誕生そのものよりも、無事イベントを乗り越え、新しい家族の誕生を迎えるご家族の様々な姿をみて感動させられることもしばしばです。

 生命の誕生という喜びの場面に関わる一方で、“母”“女性”としてのアイデンティティーが傷害されかねない事態に関わることもあります。

 Aさんは、最初のお産で、妊娠9ヶ月の時に帰省先で死産を経験されていました。次のお産は私たちの病院ですることにしてくださり、慎重に管理していたつもりですが、10ヶ月に入ってまたしても子宮内胎児死亡。前日には赤ちゃんの元気な姿をエコーで確認していたのに、翌日お腹の中の動きが少ないと感じて、すぐに受診してくださったのですが、すでに赤ちゃんの心臓は停止していました。「間に合わなかった」というAさんの言葉が胸に響きました。少しでも赤ちゃんから何かメッセージを残してくれていないかと、解剖をお願いし、同意してくれました。小さな赤ちゃんの解剖は本当に辛かった。持ち望んだ命が自分のお腹の中で失われ、もう泣くことのない我が子を悲しみの中で分娩し、その腕に動かない赤ちゃんを抱くときのお母さんの辛さは、想像を絶するものがあります。しかも、2回も続けて起きるなんて…。

 今でこそ、グリーフケアーといって、大切な人を失った人へのケアーが重要視され、我が子を失った親をサポートするグループも登場しています。今でも時々あるようですが、亡くなった赤ちゃんを見せるとお母さんがショックを受けるからといって赤ちゃんに会わせなかったり、このことは早く忘れるように伝えたり、泣いてばかりいないよう伝えたり、と医療者や家族、周囲の人達の無理解な言動が、子どもを亡くした親を更に苦しめることがあります。私たちは、現在、ご両親が少しでも事実を受け止め、悲しみを乗り越えられるよう、亡くなった赤ちゃんの形見を残したり、お産の後、ご両親と赤ちゃんが一晩一緒に過ごせるように環境を整えたり、サポートグループを紹介したりしています。

 当時は、まだネット社会も十分発達しておらず、そのようなサポートグループを紹介することは出来ませんでしたが、それでも、ご両親の悲しみを少しでも癒す手助けが出来るよう、自分達の出来ることはやったつもりです。しかし、悲しみを乗り越えるには時間が必要です。Aさんの心の痛みがどこまで回復したか気になりつつも、私たち産婦人科スタッフとのおつき合いは次第になくなりました。

 その数年後、再びAさんが外来にやってきました。妊娠しているとのこと。いろいろ心配でなかなか受診できなかったらしく、妊娠3ヶ月目に入っていました。私は彼女の気持ちが十分理解できました。望んだ妊娠ではあったでしょうが、また、あの辛い経験をするかもしれないと思うと、きっと病院を受診することを何度もためらったでしょうし、何より、辛い思いをよみがえらせるこの病院に足を踏み入れることそのものが、辛かったのではないでしょうか。それでも、Aさんがこの病院を選んで受診してくれたことに深く感謝しました。そして、診察してみるとなんと双子。子宮の中に二人並んで元気な心臓の拍動を見せている姿を、ご本人と一緒にエコーで確認しました。「あの子達が、帰って来てくれたんだ!」と涙を流される姿に、私も本当にそうかもしれないと思えました。

 前回の解剖では大きなヒントをもらえなかったため、原因不明の子宮内胎児死亡がこれまでに2回あることと、双胎妊娠であるという大変なハイリスク妊娠と判断して、高次医療機関で周産期管理をお願いしました。転院先の病院から、妊娠途中から入院管理を行い、10ヶ月に入ったと同時に帝王切開で無事出産したと報告を受けました。その知らせに、本当にほっとし、ようやく生きて我が子を腕に抱く夢が叶えられたAさんの喜びを想像すると涙が出る思いでした。Aさんは、退院後、わざわざ私たちに赤ちゃんをみせに来てくれました。一人は先天性の病気があり、何度か入院して手術が必要とのことでしたが、命があるだけでも嬉しい、と話してくれました。

 子どもを失うということは、母として「なぜ子どもを守ってやれなかったのか」と自分を責めたり、或いは理解のない周囲からも責められることもあったと思います。Aさんも、私たちには何もおっしゃらなかったけれど、随分「母としての自分」を責め、自信を失った日々もあっただろうことは想像に難くありません。3回目の妊娠の時に私たちの病院を再び訪れて下さった時、彼女を支えるお手伝いが少しは出来ていたのではないかなと思えましたし、産婦人科医をやっていて良かったと思いました。

 そして、生命の誕生の現場以外でも、「女性」としての自分の存在を大きく脅かされる経験をする女性がいます。次回は、そのような女性とのかかわりをご紹介します。