1990-97 東京センターオープンから債務超過克服へ

東京センター、診療所、訪問看護ステーションを展開し、経営危機を克服した

東京センター病院オープン

立川相互病院増床オープン

立川相互病院増床オープン

90年に東京民医連のセンター病院として、立川相互病院は345床に増床し、新たなスタートをきった。新しい病院は、救急室、手術室、レントゲン室を増やし、リハビリ施設を第一相互病院から移して大幅に拡充し、CTスキャンの更新、RIの新設などを実現した。その後、内科学会教育病院認定などを取得、総合病院化、厚生省臨床研修病院指定、MRI導入などを進めた。一方、三多摩ブロックの診療所増設に医師や婦長、事務長の派遣などで貢献してきた。東京や全国にも積極的に医師支援を進めた。

債務超過克服のとりくみ

自己点検と経営改善のとりくみが進む

自己点検と経営改善のとりくみが進む

病院オープンの直後、公認会計士の監査で、不適切な会計処理等による19億円の債務超過が明らかにされた。倒産しかねない危機として健生会は新たに専務を選任し、ただちに経営改善にとりくんだ。「自己点検と改善点」が提起され、全職員での討論では、理事会の責任を厳しく追及する意見、経営改善に一人ひとりどうとりくんでいくかなど、真剣に議論が行われた。理事会はこれに応えて理事会と管理の人事を一新し、具体的な改善策を打っていった。このとりくみは、健生会の体質を変え、制度やシステムを大きく変えることになった。大衆協力債管理、稟議決裁制度、会計業務の抜本的改善などである。これらの努力と医療活動の展開によって、毎年度大幅な黒字を計上し、97年に債務超過を克服した。

相次ぐ診療所の開設

西多摩に羽村相互診療所

西多摩に羽村相互診療所

東京センターオープンと同時に、第一相互病院内にあった外来透析が移転し、40床に倍化した透析専門の立川相互腎クリニックが開設された。次いで、63年の発足時から健生会との関わりが深かった府中診療所が、91年に健生会に合併した。93年には西多摩地域で初めて、羽村相互診療所が開設した。この診療所は外来と透析を併せ持つユニークな診療所であった。さらに95年に八王子に健生会二番目の歯科として、壱番街通りけんせい歯科が開設した。97年には、国立市にデイケアをもった谷保駅前相互診療所が開設。同年には、立川相互病院の小児科外来が外に出て、立川相互病院付属子ども診療所が開設、さらに昭島相互病院の外来が手狭となったことから昭島相互病院付属診療所が開設した。

訪問看護ステーションの開設・展開

訪問看護ステーション開設

訪問看護ステーション開設

91年に訪問看護ステーションの制度が始まり、健生会でも訪問看護ステーションの開設が相次いだ。94年、にしき訪問看護ステーション開設を皮切りに、2003年までに、緑ヶ丘、東中神、ひのだい、しんまち、さかえ、日吉町、国立さくら(その後閉所)、にしたまの各ステーションが開設した。これらは、健生会の初期からコツコツととりくまれてきた訪問看護を一気に花開かせ、民医連らしい実践によって地域からの信頼を高めていった。

共同組織、社保などのとりくみ

阪神淡路大震災への救援活動

阪神淡路大震災への救援活動

96年から「気になる患者」の訪問行動が始まり、全国の民医連に波及していった。共同組織の活動は90年代に大きく発展した。90年に5,000人だった会員は、2000年には1万8千人となった。95年には阪神淡路大震災への救援活動に1か月間で約50人派遣した。また、HIV訴訟への支援も積極的に行い、患者の受け入れも行った。また、東京大気汚染公害裁判を積極的に支援し、喘息患者の医療費無料化の救済措置をかちとった。

略年表 健生会のあゆみ

1990年
立川相互腎クリニック開設(透析40床)
立川相互病院・増床(東京センター)開院
健生会40周年記念式典
公認会計士による「経営監査報告」が出される

1991年
経営鑑定を受けての「自己点検と改善点」決定
府中診療所が健生会に合併

1992年
立川相互病院が総合病院化

1993年
羽村相互診療所開設

1994年
健生会が特定医療法人を取得
にしき訪問看護ステーション開設
健生会第3次長期計画を決定

1995年
壱番街通りけんせい歯科開設
阪神淡路大震災への救援活動
厚生省の臨床研修指定病院に
立川相互病院がMRI導入、CT増設
緑ヶ丘訪問看護ステーション開設

1996年
東中神訪問看護ステーション開設
ホームヘルパー養成3級講座を開始

1997年
谷保駅前相互診療所開設(デイケア併設)
立川相互病院付属子ども診療所開設
ひのだい訪問看護ステーション開設
昭島相互病院付属診療所開設(デイケア併設)

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