医師コラム 張先生

私と立川

1991年に中国の医大を中退して、日本の土地を踏みました。


日本でアルバイト生活をしながら、1992年に再度日本で医大に入り医師を目指しました。結局のところ、一般社会というものをあまり知らないままで医者として立川で社会人のスタートになりました。そのときから生まれてからずっと中国に預けていた長女は3歳、やっと日本に迎えて、自分の手で育てることができるようなりました。


研修医2年の頃、長男が生まれて、医者をやりながらの育児は簡単なものではありませんでした。その長男がりんご病になったときも、外来を休むわけは行かなかったので家で一人留守番をさせて昼休みに家に帰りました。立川駅近くのマクドナルドへ連れて行くととても喜んでくれたのを今でも新鮮に覚えています。あの真っ赤な両頬も・・・。そのマクドナルドもいつの間にか移転してしまってとても残念に思えます。


その当時は、近くにダイエーもあったが、時が過ぎて今はドンキホーテに変わっています。時の流れの中で変化はあるが、ここ立川はとても住みやすいところだと思います。それは昭和記念公園を始め図書館や公共施設、デパート、大型電気店、映画館など生活に必要な全てがあり、利便性が高く非常に魅力的な街だと思います。


立川で生活してからちょうど20年、当初長男が喘息持ちであったため、呼吸器内科医になろうとしたが、 結果として産婦人科一筋で忙しい毎日を送ってきています。産婦人科医として長く勤めていると、沢山の赤ちゃんを取り上げたことも自慢の一つです。


時々、買い物に行くと、“先生!この子です、先生が取り上げてくれたのが、こんなに大きくなりました・・・”とお母さんに言われると感慨無量 、医者を続けてきて良かったと胸がいっぱいになります。ずっとこの街で続けていて良かったと思います。


今では、自分の誕生日に当直をしてその日に新しい命を取り上げることが自分へのバースデイプレセントであり習慣になっています。私はこれからも立川で産婦人科医として生きていきたいと思っています。

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