新春対談2022
誰一人取り残さない社会をめざして

「五輪開催強行」であらわになったもの

「健康のいずみ」1月号(2022年1月5日/第577号)より

 最大限の感染対策が求められるなかでの、無観客五輪の強行――2021年、私たちのくらしに政治の迷走にてもたらされた不可解な出来事です。コロナ禍でよりあらわになった社会の姿とは、そしてこの経験から私たちが銘記すべきことは何か。コロナ禍で、かき消されそうな声に向き合うフォトジャーナリストの安田菜津紀さんと、医療の最前線から「五輪開催反対」と声を上げた立川相互病院・高橋雅哉院長が対談しました。

左:安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト、NPO法人 Dialogue for People)
右:高橋 雅哉(立川相互病院院長)

高橋・安田 明けましておめでとうございます。

高橋 安田さんはフォトジャーナリストとしてさまざまなフィールドに関心を寄せて、活動されています。まず初めに、安田さんがフォトジャーナリストを志した理由をお聞かせいただけますか?

安田菜津紀(やすだ・なつき)さん
1987年神奈川県生まれ。フォトジャーナリスト。認定NPO法人 Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)副代表。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 ―世界の子どもたちと向き合って―』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

安田 フォトジャーナリストは、世界のなかでこういうことが起きている、こういう問題を抱えながら生きている人がいるということを、写真を通じて伝える仕事です。現在、「NPO法人 Dialogue for People」として、チームを組んで取材と発信活動を続けています。
 高校生のときに、あるNPOのプログラムでカンボジアを訪れる機会を得て、同世代の子どもたちを取材するなかで、貧困問題や人身売買の問題に触れ大きな衝撃を受けました。この現実に対して、自分に何ができるだろうかと考えたとき、現地で見て感じてきたものを一人でも多くの人に知ってもらうことは高校生の自分にもできるのではないか、そして物事を伝える多くの手段があるなかで、写真は、何が写ってるのかな?何か起きてるのかな?という人の関心を強く引き寄せることができる、「知りたい」という扉を開いてくれるメディアだと考えたのです。今私が、「伝える」という仕事をする原点はそこにあります。

高橋 私は安田さんがお生まれになった1987年に立川相互病院に入職し、以来34年あまり外科医として働いています。この立川相互病院は戦後、地元の有志の方々が資金を集めて、これまで医療の光が当たらなかった人たちも含め、すべての人が医療を受けられるようにと建てられた病院です。弱い立場の人々、庶民のための医療を続けています。
 今再び社会のなかで、経済的格差が広がっています。しかし、お金の有る無しにかかわらずすべての人が医療を受ける必要があり、少なくとも病院のなかは平等でなければならない、そういう思いで医療を行っています。

安田 今コロナ禍で、感染は防ぎたいけれど、劣悪な環境で仕事を続けざるをえない、お金がないから健康管理や感染対策もままならない人が確実に存在します。医療者側が医療の格差、命の格差をつけない環境づくりをしていくことは、最終的にすべての人が医療を受けるうえでの安心安全につながっていくと感じます。

生活困窮は「自己責任」という空気

高橋 雅哉 院長

高橋 ひとたび自然災害やコロナ禍が起これば、社会のなかの貧困や格差が拡大していく――私たちは昨今そういう現実を目の当たりにしています。さまざまな取材や活動を通じて安田さんには、コロナ禍でのこの国の「かたち」はどのように見えてきているのでしょうか?

安田 年末年始なども含め、都内でもいくつもの支援団体が食料配布や医療相談を継続的に行っています。以前取材した会場でも、配布が始まる前から驚くほどの長い行列ができていました。これまではこういった炊き出しは中高年男性の来場が主でしたが、コロナ禍での大きな変化は、小さなお子さん連れ、大学生世代、外国籍の方が増えてきたことです。

高橋 何とか支え合おうとしてくれる人がいる、民間団体の活動は非常に心強いです。その一方で、本来は生活困窮者への支援は行政がやるべきことなのに、放っておかれているように感じます。

安田 そう感じざるをえない場面に、多く出合いました。「もやい」という支援団体などが、毎週土曜日午後に都庁の軒下スペースで食料配布と医療生活相談を行っていて、私もその活動に参加したことがあります。ある大雨の日に、都庁の職員が突然活動場所に来て「ここ使えませんから、よそでやってください」と言ってきたそうです。「すでに来場者は並んでいるし、雨のなかで食料配布をするのですか」と抗議しても、ルールだからと聞き入れてもらえなかったといいます。もともと都側がこの場所での活動を、半ば黙認してきたことも事実です。しかし、本来であればこういった支援活動は都が率先してやるべきことです。そのすべてを担えないにしても、都と民間が協働してもいいはずです。

高橋 にもかかわらず、「排除」という論理さえ出てきてしまう現実があるのですね。

安田 そうです。例えば年末年始は、コロナ禍でなくても路上生活を余儀なくされる人が増える時期です。日雇いの仕事がなくなって役所が閉まる、どこにも行き場がない。コロナ禍であるならなおさら行政は先回りをして、その時期に困窮する人への「公助」をどう確保するか策を尽くしてほしい。2020年末の東京23区では、いくつかの自治体が年末年始に役所を開けて生活保護申請を受け付ける判断をしました。しかし、都全体の足並みを揃えるというところまでは遠く至りませんでした。
 生活困窮者に対して、「自助」を求め、自己責任になり、果ては自業自得のようなニュアンスを帯びる空気が、いくつもの現場で可視化されていると感じました。

「五輪開催反対」の張り紙をなぜ出したのか?

安田 立川相互病院は「五輪開催反対」の張り紙を出したことで、大きな注目を集めました。張り紙を張ろうと考えたのはなぜでしょうか?

© Natsuki Yasuda / Dialogue for People

高橋 新型コロナウイルス感染拡大のなかで2020年3月、五輪開催の1年延期が発表されました。五輪って延期できるものなのだ、ということに正直驚きました。そして1年が経って依然、感染の波が繰り返されるなかで、IOCバッハ会長は「今年は何が何でもやる」という趣旨の発言を始めていました。

安田 IOCも政府も「何が何でもやる感」がすごかったです。

高橋 そこからはあまり大きな騒ぎにもならずに、さまざまな懸念の声に向き合うこともなく、開催の方向へと進んでいくように私には見えました。私たちはこの1年間コロナ対応で四苦八苦し、そのことばかりを考えてやってきたのに、このまま、まともな議論もなく進んでいくのはおかしいと強く思ったのです。院内で声を上げるべきだろうと提起して、連休のさなかの4月30日に張り紙を出しました。われわれが思っていることをここで、明確にしておこうという考えでした。

安田 張り紙をめぐって、いろいろなメディアの取材が来ていましたし、SNSでの拡散がものすごかった。予想以上の反響があったと思うのですが、どういう声が病院まで届いてきましたか?

高橋 全国からさまざまな意見のお手紙をいただきました。その中で、私の長年の患者さんの一人からの「皆がどうなんだろう、これでいいのだろうかと何となく思っている間に事態がスーッと進んでいく。きっと戦争はこうやって始まるものなのかもしれない」という言葉が印象的でした。

安田 異論は挟ませない、五輪のためなんだからというある種の思考停止状態は、戦争に突き進む世論にまさに重なる部分があるのだと思います。

高橋 そう、思考停止なのです。

安田 医療がひっ迫するなか、多くの医療者が五輪に割かれてしまうという懸念が多くありました。高橋先生は医療者として、五輪開催にどのような懸念を持っていましたか?

高橋 1つめはウイルスの持ち込みです。2つめにはクラスター発生の懸念。3つめは、お祭り騒ぎで行動のたがが外れてしまうのではないかという懸念です。3つめの、人々の行動が緩んだということは間違いなくありました。7月下旬、感染者数がボーンと上がり始めたときに、政府や東京都が「行動を抑えてください」という強いメッセージを出すことができなかったのは、やはり五輪をやっているせいだったと思います。

「五輪開催」にみるカネといのち

▼「復興五輪」に隠された本音

安田 私がそもそも違和感として持っていたのは、この東京五輪が「復興五輪である」と掲げられて始まったということです。
 私の夫の両親が東日本大震災当時、岩手県陸前高田市に暮らしていた関係もあり、震災後、私はずっと東北に通わせてもらっています。あるとき、仮設住宅で暮らしているおばあちゃんが、五輪招致の決定について「オリンピックなんて外国のことみたいだね」とおっしゃったんです。その言葉は象徴的でした。「復興五輪」という理念であれば、震災で亡くなられた方々の命を思って、亡くなられた方々の命とともに迎える五輪だったはずです。
 しかし現実はそれとはかけ離れたものでした。緊急事態宣言下の開催によって、むしろ命のリスクを高めるようなことをし、最初に掲げられた理念から大きな矛盾を抱えたまま、とにかくやるんだと突入していったように感じています。

高橋 五輪を開くことの真のねらいは、1つは国威の発揚であるし、2つめは五輪を開くことで国民の思考を停止させて、自分たちに都合のいい政策を進めようということです。3つめは、競技は実は大きな興行のなかでの売り物にすぎず、本当の目的はその興行でいかにその利益を上げるか、それに群がる利権の多さということです。今回のコロナ禍での開催強行は、そういった五輪のカラクリを非常にあらわにしたと思います。

▼美しい五輪理念の足元で行われていること

安田 非常に商業主義的ということもそうですし、五輪はさまざまな矛盾を孕んでいると感じてきました。大会理念では、ダイバーシティ・アンド・インクルージョン(多様性の受容)や人権の尊重などが謳われています。しかし開催国である日本で、その精神とは真逆のことが起き続けてきています。2021年3月、名古屋出入国在留管理局の収容施設でスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが、健康状態の悪化にもかかわらず放置され亡くなられました。入管の判断でいつまででも外国人を閉じ込めておけるブラックボックスのような日本の状況は国際法違反であると、国連人権理事会の作業部会から意見書も出されてきました。しかし政府は一向に改善してこなかった。日本は、足元で外国人への虐待をしながら、一方で都合のいい外国人は五輪ですよと華々しく受け入れていくわけです。その矛盾を、あの華やかさが覆い隠していたように感じます。

高橋 自分の管轄下にある人が体調不良を訴えているのに何ら有効な手立てを取ろうとしないのは、それは人間として見ていない、人間扱いしていないということの現れだと思います。

安田 誰かを人間扱いしないような仕組みが制度的に残っているなかで、五輪では、「私たちは難民選手団を受け入れています、人権を尊重しています」と謳う。一方で、ああやっぱりここに置き去りになっている人たちがいる、その事実を多くの人が知るべきだと、強く感じています。



対談当日、山田秀樹副院長と伊藤淳感染管理看護師の案内で、安田さんにコロナ病棟、検査室など院内を見学していただきました。

議論なき政治の危うさ

安田 コロナ禍での五輪開催に至るまでの、コミュニケーションのあり方に、非常に問題意識を持っています。国会で当時の菅首相は、イエス・ノーで答えられる質問をされても明瞭な答えをせず、記者会見でも質問は1回で「さら問い」を受け付けない。そうすると、さまざまな質問や指摘に具体的に答えることなく、ある種逃げることができてしまうのです。社会で大きなリスクを抱えるなかで、政治のリーダーが正面切って答えようとせず逃げ続ける姿に、私はメディアに携わる一人として非常にもどかしさを感じていました。

高橋 社会が初めて経験するパンデミックへの対処は手探りで、だからこそ一つ一つ積み上げていく判断の根拠を、政治はできるかぎり国民に明らかにしていく必要があると思います。例えば、政府の分科会が五輪開催の是非について科学的に判断することなく五輪に突っ込んでいったのは、まったく非科学的な態度です。根拠を積み上げるという議論が欠落している。そこに、政治のあり方として危うさを感じます。

この経験から私たちが問い続けたいこと

高橋 今回のコロナ禍での五輪開催について、開催直前には8割程の人が反対という調査も目にしました。しかし、いざ始まるとメディアは五輪一色になった。これまでのコロナ禍での政治の失態、政治家の不誠実な言葉や疑惑、不透明であった開催までのプロセスなど、多くの不都合を「五輪」というお祭り騒ぎに乗じて、忘れてもらおう、なかったことにしてもらおうという思惑はあまりにも明らかでした。そして、その思惑どおり、五輪が終わって秋になったら、第5波の惨状について議論されることがなくなり、新聞・テレビもまったくその原因や責任に触れようとしないことに憤っています。

安田 私がコロナ禍での取材で出会った、食料配布の列に並ぶ人たち、外国籍であらゆる公助から外れてしまっている人たち、入管に収容されている人たちは、誰々が金メダルを取ったと盛り上がること、五輪を楽しむことから、そもそも蚊帳の外でした。このまったく違う現実が、日本という社会のなかで同時に起きている――コロナ禍、そして華々しい五輪開催というイベントのもとで、社会は分断され、互いが遠い存在になっているようにも感じました。
 誰の声を置き去りにしてはならないのかとういうことを、もう一度、社会が考える必要があると思います。

高橋 もともと立川相互病院は、すべての人に医療の光を届けるために設立された病院です。誰も疎外されることがない社会を作るために、医療を通じて力を尽くしていきたいと思います。安田さんのように、物事に真摯に向き合って発言される方がメディアにいることをとても心強く感じております。
 本日はありがとうございました。

(2021年11月25日、於 立川相互病院)

安田
 お話を伺い、医療現場で働く方々へのケアなどに、もっと公的な支援が届くよう、引き続き発信を続けたいと強く感じました。

高橋
 虐げられた人々と共に歩む安田さん。私たちもこの街に困っている人が一人も取り残されないよう頑張らねばと思いました。

安田さん所属のNPO法人 Dialogue for Peopleからのご案内です!

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Dialogue for People