鉄道150年

小学生の時、隣駅まで5円。中山道大井宿。正月七日市は大勢の人出で見世物もあった。汽車の煙がぱちぱち当たり、目に入った。実家の前を中央西線と旧国道が走っていた。家を出るまで10年で複線電化、国道は新19号線になった。母は農業のかたわらその工事に出た。父は残業すれば収入はあった時代と言っていた。その後中央高速も造られた。
中学卒業の時、県外就職の級友を駅のホームで送った。しぼり器付き洗濯機は母を少し楽にした。蔵元の寄贈で中学にカラーテレビが入り、東京オリンピックをみた。友達の家で初めてビートルズを聴いた。高度経済成長期だった。
60年、駅は無人に。リニア新幹線が近くの地下を走るという。人口減、高齢化、温暖化、エネルギー危機、狭い国土。誰のための計画か。

宮地秀彰

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