原爆ドームを見たとき私は涙が出ました・・・

今回、初めてこの原水爆禁止世界大会に参加しました。開催地は広島で原爆が落とされてから今年で73年がたちました。分科会では被爆者の体験の継承・実相普及と援護連帯活動に参加し、実際に当時の被爆者から体験談を聞くことが出来ました。当時の体験を鮮明に記憶し、人々にしっかりと語ることが出来る被爆者の方々は残念ながら少なくなってきています。

私は、被爆者の方々の話を聞くまでは「すごい時代だな~、気の毒だな~」とか正直、人ごとのように捉えていたのかもしれません。しかし、話を直接、同じ時間、同じ空間で聞い時、わたしは自分の中で衝撃が走りました。時折、泣きながら話をする方、高齢者でありながら今もなお核兵器絶滅の運動に世界各国に参加してる方もいらっしゃいました。今までなぜこの事実を真に受け止めなかったのか、同じ日本人とし恥ずかしくなるくらいでした。

あの日の出来事は絶対に忘れてはいけないのだと、原水禁世界大会に参加して自分の心にしっかりと刻み込み、より若い世代にこの思いを伝えることが微力ではあるが私に出来ることなのかもしれない・・・
唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准しないことについて、なんとも皮肉で悲しい。
被爆国としての自覚を強く持ち、またアメリカへの忖度もやめ、世界へ向けて「核兵器廃絶」を先頭に立って発言すべきではないか。
この日本の未来を受け継ぐ若い世代がこの運動をリードしていかなくてはならない。

あの原爆ドームを見たとき私は涙が出ました・・・  いつかまた家族を連れて、広島の歴史を伝えたいと思います
栄養士 Y.I.


 今回、原水爆禁止世界大会に参加し、被爆者の体験話や被爆者の関係者、原爆について核兵器をなくす取り組みをしている団体が自分の想像以上に多く活動していることがわかった。去年は原水禁のカンパ活動のみで、原水禁について何も知らなかった。戦時中に広島と長崎にアメリカにより核兵器を落とされ多くの被爆者、犠牲者が出たことは学生時代にも勉強したが、表面上だけであったことを改めて感じた。なぜ広島に核兵器が落とされのかは、広島公立病院の石田さんから「広島だけでなく、他にも新潟や新横浜などの候補もあったそうです。しかし、広島は8月6日はほとんど雨が降ったことがない。B-29が偵察に広島の気候を報告した際に命令が下り、落とされたそうです。」と話を聞き自分たちの土地の可能性もあったこと、たまたま気候が悪ければ広島ではなかったかもしれないと思うと、普通の生活をしていた人々が一瞬で人生を失われたと思うと、本当に核兵器は恐ろしく、二度と使用してはいけないのだと感じた。核兵器が使用された際の無差別性、残虐性、非人道性にあることを学んだ。
看護師 K.M.

 

 

 

健生会グループの参加者

 

 

 


帰京後の報告会

 

 

 

 

あきしま相互病院の庭に根付いたアオキリの木