スタッフブログ

あずみの里裁判 来年3月判決へ

特別養護老人ホームあずみの里業務上過失致死事件裁判の第1回公判が始まり、3年以上が経過しました。更に遡り、あずみの里の准看護師である山口さんが在宅起訴になってしまってから間もなく4年が経とうとしています。現在も全国各地からたくさんの支援の輪が広がっています。3月25日にはいよいよ、判決が言い渡されます。山口さんにとっても、介護の未来のためにも絶対に負けられない裁判です。

11月23日には長野県で支援者集会が550名の参加で開催されました。木嶋弁護団長が公判での3つの争点について報告されました。第1の窒息の因果関係は塞栓物質が発見できない事。この公判には私も傍聴に行きましたが、当日対応された救急隊員の方がはっきりと弁論されていました。第2の注視義務違反は前提事実である嚥下障害が見受けられない事。そもそも検察は山口さんが注視義務を負うのは介助に入る着席後と主張しているのですが、再現VTRでは、山口さんが着席する前に利用者さんはドーナツを食べ終わってしまっているのです。第3の間食時形態義務違反ではそもそもドーナツよりゼリーの方が安全だという根拠が脆弱であるという事など、併せて指摘をされ、12月17日の最終弁論でこれらの事実を徹底的に明らかにしていくという報告となりました。

この間の公判では弁護側の証人として、日本赤十字看護大学名誉教授の川嶋みどりさんと健和会病院の摂食嚥下リハビリテーション専門医師である福村直毅先生が専門的な知見から弁論され、検察官を圧倒しています。10月1日の公判で検察側は論告で「罰金20万円」を求刑しました。検察も社会的悪性がないと認めたとも取れます。業務上過失致死事件では、懲役刑や禁固刑が科されることもあるので、「罰金20万円」は比較的軽い印象を受けてしまいますが、そもそも前例を作ってはならないのです。もちろん山口さんも完全に無罪でなければならないのです。

看護師や介護士の人手不足は大きな問題となっています。これから看護師や介護士を目指す人たちはもちろん、現在働いている人たちも安心して働けるように、この裁判は絶対に負けるはけにはいきません。
介護福祉士 Y.S 

 

 

原爆ドームを見たとき私は涙が出ました・・・

今回、初めてこの原水爆禁止世界大会に参加しました。開催地は広島で原爆が落とされてから今年で73年がたちました。分科会では被爆者の体験の継承・実相普及と援護連帯活動に参加し、実際に当時の被爆者から体験談を聞くことが出来ました。当時の体験を鮮明に記憶し、人々にしっかりと語ることが出来る被爆者の方々は残念ながら少なくなってきています。

私は、被爆者の方々の話を聞くまでは「すごい時代だな~、気の毒だな~」とか正直、人ごとのように捉えていたのかもしれません。しかし、話を直接、同じ時間、同じ空間で聞い時、わたしは自分の中で衝撃が走りました。時折、泣きながら話をする方、高齢者でありながら今もなお核兵器絶滅の運動に世界各国に参加してる方もいらっしゃいました。今までなぜこの事実を真に受け止めなかったのか、同じ日本人とし恥ずかしくなるくらいでした。

あの日の出来事は絶対に忘れてはいけないのだと、原水禁世界大会に参加して自分の心にしっかりと刻み込み、より若い世代にこの思いを伝えることが微力ではあるが私に出来ることなのかもしれない・・・
唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准しないことについて、なんとも皮肉で悲しい。
被爆国としての自覚を強く持ち、またアメリカへの忖度もやめ、世界へ向けて「核兵器廃絶」を先頭に立って発言すべきではないか。
この日本の未来を受け継ぐ若い世代がこの運動をリードしていかなくてはならない。

あの原爆ドームを見たとき私は涙が出ました・・・  いつかまた家族を連れて、広島の歴史を伝えたいと思います
栄養士 Y.I.


 今回、原水爆禁止世界大会に参加し、被爆者の体験話や被爆者の関係者、原爆について核兵器をなくす取り組みをしている団体が自分の想像以上に多く活動していることがわかった。去年は原水禁のカンパ活動のみで、原水禁について何も知らなかった。戦時中に広島と長崎にアメリカにより核兵器を落とされ多くの被爆者、犠牲者が出たことは学生時代にも勉強したが、表面上だけであったことを改めて感じた。なぜ広島に核兵器が落とされのかは、広島公立病院の石田さんから「広島だけでなく、他にも新潟や新横浜などの候補もあったそうです。しかし、広島は8月6日はほとんど雨が降ったことがない。B-29が偵察に広島の気候を報告した際に命令が下り、落とされたそうです。」と話を聞き自分たちの土地の可能性もあったこと、たまたま気候が悪ければ広島ではなかったかもしれないと思うと、普通の生活をしていた人々が一瞬で人生を失われたと思うと、本当に核兵器は恐ろしく、二度と使用してはいけないのだと感じた。核兵器が使用された際の無差別性、残虐性、非人道性にあることを学んだ。
看護師 K.M.

 

 

 

健生会グループの参加者

 

 

 


帰京後の報告会

 

 

 

 

あきしま相互病院の庭に根付いたアオキリの木

スタッフブログ「私たちの思い」更新しました。 ~療養病院の風景~

外にいるのが心地よい季節になると、病院の庭には入院患者様や通所リハビリの利用者様が訪れます。
 リハビリスタッフと一緒にお話ししながら歩く姿は、のんびりと散歩しているようですが、実はこれもリハビリの一環。スッタフの声かけも意識的に行われています。

この庭には、いつもやって来る地域猫がいますがこの猫も会話の種となりリハビリに一役買っています。この地域猫の面倒をみるためのネコボランティアさんも庭を訪れる1人です。

 四季の花や植物、木の実、そして野菜までがその姿を次々と見せてくれる庭の手入れは、病院開設当時から私たちを支援していただいている三多摩健康友の会の庭作りボランティア“やまぼうしの”の皆様です。患者様、利用者様の喜んでいる姿を励みに年間を通して庭づくりに精を出していらっしゃいます。通所リハビリを卒業した利用者様がこのボランティアメンバーに加わり社会復帰されました。

 人生の終版の時期をどのように自分らしく、納得のいく過ごし方をしていただけるのか、療養病院のスタッフに必要な医療感や介護感を病院の日常の風景の中に感じています。    事務

最後までその人らしい生活を ~ 病棟看護師の想い

当院ではお看取りまでの支援もさせて頂いています、

自宅ではお酒を楽しみにしていた患者様へ、入院生活中でしたがご家族様にお酒を持参していただき、夕方から就寝前の間でお飲みいただいた事もありました。最期までその人らしい生活ができるよう支援させていただくことができ患者様、ご家族様ともに心に残る最期をなりました。

自宅に帰りたいと願う患者様に対してスタッフ一丸となり、ご家族の支援や往診、訪問看護等と連携し自宅退院された患者様もいます。その方は現在、自宅での生活と当院のショートステイを利用して療養生活を続けていらっしゃいますが、自宅に帰れて良かったと言って頂くことができました。
3階さくら病棟 看護師

「食べたい、食べさせてあげたい、を叶えたい」 ST(言語療法士)の想い

 当院には,急性期病院で経口摂取は困難と診断されて転院されてきた患者様が何割かいらっしゃいます。私の義父もその一人でした。肺炎を発症する前はむせながらも自力で軟菜食を食べていたので、食形態を調整すればまた経口摂取は続けられるだろうと考えていました。しかし、義父の心肺機能の回復は予想通りにはいきませんでした。加齢に伴う嚥下障害もあり、ゼリーもミキサー食も少しでも食べるとすぐに熱が出てしまう状態となり、当院で最期を迎えました。楽観的な見解を口にしたばかりに、夫に期待を与えてしまい、病状を受け入れるために長く葛藤させてしまうこととなりました。その時に、肉親の「なんとか食べさせてあげたい」という想いは、病状説明だけでは簡単に納得できるものではないことを痛感し、その後STとして同じような状況の患者様にどう寄り添ったらよいか考えさせられる経験となりました。

当院では誤嚥しながらも食べている患者様が多くいらっしゃいます。誤嚥量も人それぞれで、かなりの誤嚥でありながら肺炎に至らない方もいらっしゃいます。心肺機能の個別性も大きく関わりますが、その他に患者様の過ごし方に理由があるのでは?と思って見てみました。食形態や誤嚥しにくい姿勢に配慮する他、呼吸状態や肌の色などをよく観察し、食事中でも適宜吸引などをし、呼吸ケアをこまめに行っています。ほぼ寝たきり生活だった方でも食事時間には車椅子に乗車しホールに出たり、週二回の入浴とリハビリで体を動かし、痰や誤嚥物を動かして排出しやすくしています。患者様に関わる全てのスタッフの力で、「食べる事」が可能になっています。

 義父が転院した当時、当院にSTはいませんでしたが、口腔ケアの際にお酒で口を拭ってもらうなどしていました。食べられなくても味や匂いを感じる機会だけでも持っていただこうという土壌がありました。当院のスタッフと一緒であれば、「食べられない方の食べたい」を、少し形を変えてでも叶えられるのではないかと考えています。これまでに「チョコを食べたい」「味噌汁を飲みたい」「刺身を食べたい」など様々なご要望に出会いました。皆さん状況が異なるため、方法も色々ですが、その都度医師や看護師と相談し、手段を見つけて少量でも召し上がっていただけるよう工夫してきました。病状などから、「何も食べられません」という評価にならざるをえない方もいらっしゃいます。しかし、患者様とそのご家族様が「それでも食べたい(食べさせてあげたい)」という想いがあれば、少しの可能性も見落とさないように工夫し、口から味わう喜びが守られるよう努めていきたいと思っています。

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